
「ブランネージュ」の誕生のきっかけは、
秋山幸代の3人の娘がアトピー性皮膚炎で生まれてきたことと、
丹念に手入れをしていたはずの自身の肌が、
30歳になった頃、シミで真っ黒になっていたことでした。
化粧品とその成分を学び、
「健康な皮膚で生きていくという当たり前のことを当たり前に考えられるもの、
本当によい結果が出るものがほしい。
アトピー性皮膚炎の人も、シミで悩んでいる人も、
子供から大人まで男性も女性も使える、
天然の成分だけを使った肌にメリットのある化粧品がほしい」
という答えが、秋山の心に熱く芽生えました。
「ところが私が使いたいと思う商品が探してもなかったのです。
ないから自分で作るしかなかったのです」
東京であるメーカーに美容部員として働いていましたが、
神戸へ移り住むことになったとき、
「今だ。今しかない。私はここ神戸で、化粧品を作るんだ」
フツフツ湧きあがる情熱だけを支えに、東京で出会った製造元に
「私が考えた成分で基礎化粧品を作って下さい」
と掛け合いました。もちろん相手にはしてくれませんでしたが、
「わかった」と言ってくださるまで東京と神戸を通い詰めました。
月に1度のペースで通うこと2年、根負けした製造元の社長が
「わかった」とついに腰を上げてくださいました。
「アルコールや、香料や肌に負担になるものは一切使わない。
肌に良い成分のみを、肌に結果が出るようにふんだんに配合する」
納得がいくまで話し合って成分を決めました。
すると社長が、「それが出来たら夢の化粧品だよ!」と。
ブランネージュの開発研究チームができ、現場の方々が言いました。
「こんな化粧品が作れるなんて。
ブランネージュを作るときが、私たちとても嬉しいです」
20年前に創業したときは、本当に資金もお客様も販売ルートもありませんでした。
「あるのは夢だけ、本当にそうだったのです」
と笑顔で当時を振り返る秋山幸代は、その頃自分で作ったチラシとサンプルを持って、街行く人に「使ってみて下さい」と手渡しする事から始めました。
だからと言ってすぐに連絡はなく、電話がならないのも当然の日々でしたが、
「全く動じませんでした。素晴らしい化粧品であることを確信していたので。この化粧品を必要とする方は沢山いらっしゃると言う確信がありました」
「雪のような白い肌」という意味の 「ブランネージュ」、
「すべての女性の肌をきれいにして差し上げたい・・・」
という願いをこめて名づけました。
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